阪神淡路大震災の頃の私
こちらのブログをサボっていましたw
金土に大阪出張で普段乗らない電車に乗り…疲れましたw
まあ電車で疲れるのは想定内だったので金土はご飯を作らなくてもいいようにご飯は仕込んでいくのが基本。
夫は土曜日家にいて家事もしてくれるけど、休ませてあげたいからね。
と、仕事のせいにしてこのブログはおやすみしてて、さあ書こうかと思えば地震!( ̄▽ ̄)
昔のトラウマが蘇ります。
阪神淡路大震災。
なんて言えばどんなに酷い被害にあったんやろう、と思いますが直接の被災者ではありません。
今日はそのあたりの思い出話を書きます。
私は阪神淡路大震災が起きた時19歳でした。
前日に地元大阪を離れ、自分の荷物を軽四に全て積み込み、岡山の母方の祖父母宅に引越ししたところでした。
なぜ引越したかというと、私の母は一人っ子で祖父母のみ岡山の山奥で生活していました。
跡取りもなく、汽車も1日に数本の過疎の町。
私は物心ついた時から「中学になったら岡山の中学に行くんやで。」「大学は岡山の○○大学に行くんやで。」のように大人になったら祖父母の家の養子になるよう洗脳されていました。
中学の頃には親戚筋の男性と養子縁組の話もありました。
私の人生、全て親が決めていました。
なので高校卒業時にはどうせ引っ越すのだからと進学も就職もせず、ずっとクロネコの運送会社でアルバイトをしていました。
なぜか19歳の冬、引越しすることが決まりました。
実家には何一つ荷物を置かず、全て自分の荷物を車に載せました。
もうここには住むことがないと覚悟を決めたんでしょうね。
岡山までは3時間もあれば着きます。
明日は荷物の整理をしようと就寝しました。
その明け方のことです。
どーんという音と振動で目が覚めました。
阪神淡路大震災でした。
岡山は被害はありませんでした。
残してきた大阪の家や家族は大丈夫なんやろうか?
この時携帯電話もなく、なかなか電話も通じなかった気がします。
ようやく電話がつながり無事を確認することができました。
ぶっちゃけ、私はその時家を出たくて出たくて出たので、家族よりも当時付き合っていた大阪にいる彼氏のことが心配でした。
地震があって三日後くらいに大阪に車で行きました。
行きはすんなり行けた気がします。
しかし、帰りは中国自動車道が通行止になっていました。
大阪から京都〜舞鶴〜鳥取経由で岡山に帰ることにしました。
日本海沿いの国道9号線ドライブです。もちろん女一人。
ナビなんてありません。
若いからできたんやろなーと思います。
もう1日仕事でした。
当時乗っていた車はスズキのアルトビームという4ナンバーの軽四です。
パワステなんかないし、パワーウインドウもありません。
エアコンはついていました。
90キロ出すとキンコンキンコンなり続けるのね。
そんな車で日本海ドライブでした。
私の震災の時の記憶ってこんなんです。
今だから言えるけど、当時付き合っていた彼氏は彼氏というよりはお父さんみたいに年も離れていたし、別れて正解な人でした。
後からすんごいストーカーになり、電話や訪問がしつこくついには内容証明郵便を送りました。
ホンマ若いって何も知らんから怖い。
震災より、ストーカーの方が当時は恐ろしかったです。
私はこの後ももう一度別の人からストーカー行為を受け、殺されると思い、警察に何度も電話しました。
こんなアホな青春時代やったんで男の人には十分気をつけるようになりました。
20代は昼ドラのようにドロドロのぐっちゃぐちゃでした。
そんな日々があったから今が幸せやと感じるのかもしれません。